おかーちゃんは、椅子に座って見る日。

私たちがお世話になっている保育園は、年に3回、保育参観月というのがあって、その月は、午前午後それぞれ1時間の決まった時間においていつでも参観してもよい、という特別な月があります。

 

私は、せっかくの育休中!ということで、12月は9回、参加してきました。

保育園での娘の様子を見たいというのが一番ですが、遊びの環境や内容、先生たちの関わりを学びたかったのと、他のお友達のことももっと知りたいと思い、参加しました。

そこでの出来事の記録です。

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12月最初の参観の日。

私が部屋の中に入ると、娘(2歳9か月)は「おかーちゃーん!」と言いながら、嬉しそうに私のところに寄ってきて、私の膝にぴたっとくっつきました。

先生は、その姿を暫く見守ったあと、英語が始まったので、「ゆまちゃん、こっちおいで!」と娘を誘い、そして娘は私に、「おかーちゃんも一緒に!」と言って、私の手を引いて、みんなの輪の中に入ろうとしました。

 

その時の私の心の中は、とてもぐるぐるとしていて、

自分自身の小学校の時を思い出し、「参観」なので、親は、子ども達から離れたところに座り、

子どもたちが活動しているのを静かに見るべきであり、子どもは、親を意識しながらも、活動に集中すべきである。(ちょっとした発表会のような。)という考えが頭を過り、

 

とはいえ、それは小学生の話。

2歳の子供が親を見て嬉しくなり、親のところに寄ってくるのは自然なこと。

その行動を制限して、無理やり引き離すのは大人の都合のようで不自然で、子どもにとってはわけのわからない理不尽なことなんじゃないか・・・

できれば私はやりたくないなぁ・・・。

そのうち準備ができたら自然に離れていくようになるだろうから、その時を待ちたい。

 

とはいえ、いつも頑張ってくれている先生たちの、普段の子供たちの姿を親にみてもらいたいという願い(でもあり、おそらく保育参観の目的)には協力したい、

またクラスの流れを乱して先生や園児たちに迷惑をかけるようなこともしたくないなぁ・・・

 

あわよくば、娘やお友達と遊んで仲良くなれたら、それは本当に何より嬉しいこと!

 

という気持ちを全部ひっくるめた結果、この選択は正しいのかと少しドキドキしながら、私は、椅子から離れて、一緒に参加する、という選択をしたのでありました。

 

ちなみに、その日やその後の参観でも、当然ながら、お母さんの方に寄っていく子どもたちがいましたが、お父さんお母さんの対応は様々で、

「先生よんでるよ。いっておいで。」と促したり、

「かっこいいところ見に来たんだから、かっこいいところ見せて」と言い聞かせて子どもを輪に戻したり、

「しつけがなってないな。集中力がない。少し皆と一緒に輪の中に入ろうか。」と言って、子供たちの輪の中に入って、少しして戻り、やっぱり入り、の繰り返しだったり、といったものがありました。

 

さて、私が皆の輪の中にはいる選択をした後、

英語の先生は、私を歓迎し、仲間にいれてくれ、園児にシールを配る係りを託してくれたりと園児たちとの関わりをたくさん持たせてくれました。

娘もお友達も、本当に楽しそうな笑顔をみせてくれ、私はとても幸せな気持ちになっていました。

私は、この選択は、皆にとって、平和だった!いい時間になった!とほっとしていたところ、

 

最後の方で、担任の先生に、

「今回は初日なのでよいのですが、一応、参観なので、次回から椅子に座ってもらえますか・・・」

と言われてしまいました。

 

私は、なんだかとても悲しい気持ちになってしまい、思わず、

「そうですか・・・この先の参観は私は参加しない方がいいかもしれません」と伝え、

担任の先生を困らせてしまいました。

 

帰り際、担任の先生とゆっくり話すことができました。

先生に、思い切って私の素直な気持ちと、「先生や他の園児に迷惑になるようであれば、今後、参加しない方がいいと思っています」とお伝えすると、

担任の先生は、以下のように答えてくれました。

「初回だから、いいんです。

前回も、回数を経るごとにゆまちゃんもお母様を気にしないようになってきましたし。

私も、お母様と同じ考えで、のびのびいてほしいと思っていて、無理やり戻そうとは思っていません。どうしても泣くようなときには、お母さんのそばにいたり、お母さんにきてもらったりしてもいいと思うんです。

忙しい中調整してくださったのですし、私たちも、親御さんに子どもたちを見てほしいと思っているので、是非、いらしてください。

私から、子どもたちに、今日参観だと事前に伝えていなかったのも悪かったと思っています。

形だけでいいので、最初は椅子に座ってもらえますか。」

 

それを聞いて私は、

先生が時間をとって話を聴いてくださったことそれ自体や、それでも参観に来てほしいと言ってくださったことで気持ちが落ち着いてきて、

そうか、椅子に座ってみるのは、大前提のルールである!ということが、私の認識とずれていることに気が付きました。

 また、私も娘に、今日の参観のことについて、「今日、サンカンいくよ~」くらいにしか伝えていなかった・・・と気が付いたのでした。

 

 そして、帰宅後。その日の夕方は、娘は少し様子が変で、「いやだ!」が多かったり、珍しく机を蹴ったり、夜もなかなか眠らず遊びたがったりと、荒れ模様でした。

 

翌日、次の参観の日の朝、

「ゆま、おかーちゃん、今日、サンカンなんだ。サンカンは、ゆまたちが英語してたり遊んだりしてたりするのを椅子に座ってみせてもらう時間なの。

本当は、一緒に遊びたいんだけど、それはできないみたいだから、我慢するね。おかーちゃん、見ててもいい??」

と伝えると、娘は、

真剣な顔で「うん。」と頷いてくれました。

 

そして、保育園へ到着。

その日の参観は、最初、私の方を向いて、「見てる~?」というように目配せをしてくれ、あとは、私のところに来ることなく、英語を最高の笑顔で楽しんでいました。

 

英語の後、散歩に行くとき、普段はお友達と手をつないでいくのですが、この日娘は、

「おかーちゃんと手をつなぐ」といって私のところにきました。

私は、保育参観の大前提を踏まえ、

「今日はね、おかーちゃんは後ろからみてなくちゃいけないみたい。後からついていくね」というと、

娘は「うん」といって、すぐ、他のお友達と手をつなぎにいっていました。

 

そして、散歩の目的地・公園では、皆がばらけたあと、

娘は大好きなブランコに直行し、「おかーちゃんがおす!」と言って、私の手を引いてくれました。

他のお友達みんなが色鬼遊び(サッカーをしている日もありました)を始めたときも、

娘は、先生に来るように誘われても、片時もブランコを離れず、最初から最後まで、私と一緒にブランコをし続けました。

 

私は、皆がばらけているこの時なら、娘と関わっても大丈夫そうだと感じ、ずっと娘と一緒にブランコをしていました。

 

そして、散歩の帰り道、娘は私の方を一切向かず、黙々と歩いて園に戻りました。

その後の残りの7回の参観も同じような感じで進んでいきました。

 

 

私は、2回目の参観の前に、参観であることや、その時のルールを伝えたあと、娘の行動がこんなにも変わるのだ、ということにとても驚きました。

また、初日、その日きりで終わった、娘の荒れた様子は何だったのだろう・・・?

娘の中では何が起きていたのか?

 

思い返してみると、参観にもいくつか形式があって、

例えば敬老の日のイベントでは、祖父母が部屋にやってきて、普段と同じような活動の中に、祖父母が入り一緒にふれあい遊びをします。

また、9月の参観の中には「参加型保育参観」というのがあり、親が活動に参加している日もありました。

 

そう考えると、娘からしたら、おかーちゃんが参観に来た!→おかーちゃんと一緒に遊ぶ日!と思うのはとても自然なこと。

ただただ、今日は遊ぶ日ではなくて、母は椅子に座って普段の自分たちを見る日である、ということが分からなかった(曖昧だった)だけ。

 

今更ですが、先生が、「事前に言っていなかったのが悪かったと思います」とおっしゃっていたのは、このことだったのか、と気が付きました。

 

だから、私が娘に、参観では座ってあなたのことをみてるね、と伝えたときには、

娘は、「あぁ、今日はそういう日なんだ。おかーちゃんのところに行きたいけど、それはできない日なのか。」と理解し、その上で行動していたのだろうと思います。

 

また、散歩での行動を振り返ると、おかーちゃんと手をつなぎたいけれど、それはやってもいいのかどうなのか、本当にわからないから、ただただ、確かめた。

そして、今日はどうやら無理らしいとわかって、他のお友達のところにいった。

帰り道も、行きがだめなら帰りもだめだろうと考え、普段通り保育園へ向かった。

そういうことだったのかもしれません。

 

先生に言われるまで、この園での参観は、椅子に座って見ていなくてはならないというのが大前提のルールであることを知らなかった(曖昧だった)私。

最初は、自分なりにみんなによいと考えた選択を否定されたような気持ちがして、悲しくなり、思わず感情的になってしまいました。

しかし、先生と話して私の気持ちを受け止めてもらい、そして、知らなかったことだったのだと気が付いたら、その上での行動を選択できるようになりました。

 

娘と私は、同じようなことを感じ、同じことをしていたのかもしれません。

そう考えると、もしかしたら、娘の、初回参観の夜の荒れた様子は、私と担任の先生が話している様子を見て、”自分なりにやったことにバツをつけられた”、という風に理解、少なくとも感じ取っていたのかもしれません。

しかし、私が伝えた後は、娘の気持ちは落ち着き、新しい情報(ルール)を踏まえた行動を選択できるようになった。

 

ちなみに、公園で、皆とまじらず、ブランコでずっと私と一緒に遊んでいたのは、ここは、例のルールが適応されない、ずっとおかーちゃんといられる場所だと感じ取ったから、それを選択していたのかもしれません。

 

余談ですが、お友達のうちのひとり、お母様のところにひっついて、先生やご両親に、何度も「今日は見てる日だから皆のところにいっておいで」と言われても、ずっとお母様のそばから離れようとしない子がいました。

その子は、最近、親御さんがとてもお忙しく、朝早くから夜遅くまで保育園にいることが多かった子であり、当日は、仕事をなんとかして、夫婦揃って、サプライズで参観に参加されていたということでした。

その子は、きっと、先生や親に言われたことはちゃんと理解していたのだろうと思います。でも、きっと、それ以上に、お父さんお母さんが会いに来てくれたことが嬉しくて嬉しくて、一緒にいることの方が、格段に重要だったのではないかな、と想像し、とても愛おしく感じました。

 

最後に、何故、できるかぎり、子供は親に会いに行きたいと思う気持ちを我慢して活動をつづけ、親は椅子に座ってそれを見る、ということが”大前提のルール”になっているのか・・?そこの腹落ちが全然ないままだったので、娘にもちゃんと伝えることができていないままです。もやもや。

  

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