ごめんなさい、の重み
昨晩、部屋で娘(2歳11か月)と二人でごろごろと遊んでいた時のこと。
娘が、私のメガネを取った拍子に、私の目をメガネの先っぽが突いてしまいました。私は反射的に、「いたい!」といって起き上がり、”謝れ!”といわんばかりに娘を見たら、娘は私を意識はしているものの、目をそらしてごろごろ。
「痛かったんだから、謝ってよー」と言いそうになり、”これ、やりたくないやつだ・・・”と自分の中の自分が言っているのが聞こえ、なんとか自分を押しとどめ、娘の世界を覗いてみる・・・。
私「そうか、わざとじゃなかったのか」
娘「・・・わざとじゃなかったんだよ」
私「そうか、それなら、しょうがないね」
娘「・・・しょうがないんだよ」
私は、そうか、わざとじゃないし、考えてみるとそんな痛くもなかったなぁと思い返し、まぁ、いいかと、遊びに戻りました。
しかし、暫くたって、娘は、私に、「ごめんね」と言ったのでした。
私「おぉ、わざとじゃなかったのに、謝ってくれてありがとう。びっくりした。」
娘「いいよ。・・・ねこさんやりたかったの。」
そうして、前日にお友達とやった、ねこさんごっこをしたかったのだという事が分かりました。
私は、人との関係の中で、相手を傷つけてしまったときに、すぐに「ごめんなさい」が言えることは、理想だと思っていました。
大人の世界では、特に社会人の世界では、こちら側にどんな事情があるにせよ、相手が嫌だと感じたのであれば、自分の気持ちを一旦置いておいて、相手を傷つけてしまった事実に対してすぐに謝罪することは当然のことだからです。
実際、今まで、娘に対しても、それを求めることがありました。
でも、娘にとっての「ごめん」は、私が思っているよりも、重みのある言葉なのかもしれません。本当に、自分が悪かった、と思えたときに初めて出せる言葉。だからこそ、「ごめん」と伝えることに時間がかかるのは自然なことなのかもしれません。
時間がかかっても、本当の気持ちに繋がっている「ごめん」を使えるのだとしたら、それは本当に素敵なことだと感じました。
この、せっかくの重みのある「ごめん」が、知らないうちに、”言わされた「ごめん」”や、”とりあえず言っておけばいい「ごめん」”になっていってしまうことは、とてももったいないことだと感じました。
待てそうなときには、待ってみよう。
そう考えると、最近私は、そこまでの重みの「ごめん」を使ってないかもなぁー。